なぜ「 刺し子 」なのか

 

Sashi.Coは、「刺し子でデザインする」という、刺し子アーティスト”二ツ谷恵子”の思いを実現するためのプロジェクト(ブランド)名です。

 

「 刺し子  (SASHIKO)」

パッチワークやキルティングの世界で、当たり前のように耳にする単語になってきたとはいえ、まだまだ一般には浸透していない言葉です。幾千もの手芸、工芸があるなかで、なぜ「刺し子」なのかというSashi.Coの原点ともいえる想いを紡いでいけたらと思うのです。

 

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30年間以上の経験で培った想い

 

恵子はゼロからSashi.Coをスタートさせたわけではありません。30年以上、刺し子業を生業としていた「飛騨さしこ」の社長夫人として経験を積んできた今があるからこそ、Sashi.Coを「未来の刺し子の一部」としてスタートさせることができました。

 

本来であれば、この「飛騨さしこ」での日々の中で、刺し子に対する想いや情熱を形にできれば最高でした。しかしながら、2013年秋、当時社長(恵子の夫)の急逝によって、刺し子業から半強制的に離れることを余儀なくされてしまったのです。

 

30年以上日常の中にあった刺し子から離れ、自分自身を見つめる中で、恵子は「やっぱり私は刺し子が好きなんだ」という原点に帰ることになるのです。

 

 

会社を経営する夫の妻として、一従業員として、苦しい会社の経営を支えていく立場でもなく

一族経営とは言いながら、結局は株主の利益になるような仕事しかできない立場でもなく

仕入れの金額を気にし、原価計算に眉をひそめ、日々のお金を気にする立場でもなく

従業員さんを守る立場でもなく、また誰からも批判を受ける立場でもなく

 

そんな自由になった恵子がたどり着いた結果が、「刺し子でデザインする」という言葉であり、息子である僕への「もう一度刺し子と向き合おうと思う。手伝ってくれるかな?」という言葉に繋がるのです。

 

 

刺し子で何をデザインするか。

恵子が刺し子でデザインするものは、恵子が作る作品であり、恵子自身の楽しい日々であり、そしてSashi.Coのプロジェクトから派生する、少しでも社会に良い影響を与えた結果の未来だと思うのです。

 

「もう一度世に出してやるからな」

 

Sashi.Coの作品にはいくつもの”コダワリ”が詰まっています。

そのたくさんの”コダワリ”は丁寧にひとつひとつ別記事で紹介するとして、その中の一つが、「古布(アンティーク布)」を使った作品が多いということです。全ジャケットの80%以上が古布を使用して作られた作品です。

 

古布とは、数年前〜数十年前(数百年前も理論的には可能)に織られた布を指します。

多くの古布がすでに衣類として縫製されていて、着物だったり半纏だったりという「衣」の姿をしています。しかしながら、ほつれている箇所が多かったり、汚れがひどかったり、ボロボロだったりして、すでに使われなくなった衣類、または布が、日本中にあります。

単純に、「もう着なくなった」という衣類もきっと日本中の箪笥の奥に眠っていることでしょう。

 

恵子は、こういった古布を探し出し、また古物市場で購入しています。まだ使える箇所を解いて一枚の布にしたり、また補強できる箇所は当て布を使ったり刺し子をしたりして、「古布が持つ独特の風合い=質の良い布が重ねてきた年月でのみ得られる美しさ」を最大限に利用して作品作りをしているのです。

 

Sashi.Coで作られる作品は原則として販売可能な作品であるため、「一点もの」という表現をしていますが、同時に、恵子にとっては「古布との一期一会」の繰り返しであり、その驚きと発見、完成した作品の刺し子と古布の美しさが恵子の何よりもの楽しみなのです。

 

「淳〜。みてー。めちゃくちゃ綺麗に出来上がった!ここまでになるとは想像してなかった!」

なんていうメッセージが送られてくるのです。結構頻繁に。

 

「もう一度、この世に出してやるからな。」

素晴らしい古布に出会い、ワクワクした時に恵子が布に語りかける言葉です。

一度は世に出て脚光を浴びていたはずの衣。時が経つにつれ、ほつれたり破れたり汚れたりして使われなくなるのは仕方がないことです。本来であれば、そこで現代における「衣類」としての役目は終わりなのでしょう。

 

しかしながら、戦前の日本には、この役目が終わった衣類を蘇らせる手法が、日本全国に散らばっていました。それが刺し子であり、布を補強するという技術なのです。

 

衣文化から学べることを最大限に世界に紹介しつつ。

そして、一度ステージから降りてしまった華々しい布に、もう一度スポットライトが当たる様に。

 

恵子はそんな想いで、一着ずつ丁寧に製作しています。

 

 

「衣」文化から学べるコト

 

僕自身、生まれた時から身近に刺し子がありました。

「飛騨さしこ」が僕の家業であり、物心がつく頃には当たり前の様に刺し子に囲まれていました。職人のおばちゃんに促されて初めて針を持った日も覚えています。

 

当たり前に存在した刺し子。

それでも周囲の友達の間では「刺し子」という単語は意味を持たず(浸透せず)、「刺し子」は、”当たり前なのに特殊”という僕にとって不思議な概念が生まれていったのです。

 

刺し子を仕事にすることについて&家業が刺し子であることについて、思春期には反発しましたし、社会人になってからも青臭く、刺し子の存在意義に悩んだこともあります。

 

過去形で書いてしまいましたが、まだ答えは出ていません。今も悩んでいるし、今も明確な答えがあるわけではないのですが、母親が人生を懸けたいと言ったことに、僕個人の存在意味を見出さなければ前に進めない程の青臭さはなくなっているので、こうして楽しんで手伝いができています。

 

刺し子は奥が深いです。というか、「衣文化」は奥が深い。

今も疑問に思っていることは、僕たち”人間が営む衣という文化”です。「衣食住」という様に、僕たち人間に必要な三大項目の中の一番最初に「衣」が来ています。「音」だけで決まった言葉じゃない気がしているのです。「食住衣」でも、語呂が悪いわけではないですし。

 

また、ある人が書いていた言葉が強く記憶に残っています。

「人間は、”衣”を纏って初めて人間になる」

 

どんな動物にも感情はあるだろうし、理性等もあるかもしれない。頭の中は把握しきれないのだから。それでも、「自ら衣類を纏って個性なり社会性なりを見出そうとしたのは人間だけだ」という文章に、不思議と強く納得した自分がいるのです。

 

 

産業革命が起こり、物質的な暮らしが豊かになり。

大量生産&大量消費が当たり前になり、経済もその「大量」のキーワードがなければ成り立たない仕組みにまで発展し。消費が今の経済を、つまりは僕らの社会を支えているのは明白です。そんな消費重視の社会で、「使われなくなったものを、再利用してもう一度使う」というのは、そこに”社会的な問題解決の意味合い(エネルギーや環境問題)”か、もしくは”それ相応の利益”がなければ起こり得ないと思っています。

 

では、使われなくなった古布を再利用して、Sashi.Coは何を社会に提示していくのだろうか……という疑問が浮かびます。

 

現時点では衣類のリサイクルはそれほど重要視はされていません。ましてや、質の悪い布地であればリサイクルの段階で「衣」としての役割を担えなくなってしまいます。

同時に、Sashi.Coや刺し子業にそれ相応の利益があるかといえば、手作業にかかる仕事量やその大変さに比較すると、決して割がいい利益がでる仕事ではないのです。

楽しいから、好きだからこそできる仕事です。

 

 

話が少し逸れました。繰り返します。

「Sashi.Coは何を提示していくのか。」これが僕の存在意義へのテーマでもあるのです。

 

1. 高齢化が進む社会での問題解決のモデルとして

 

刺し子業に必要なものは、布と糸と針、そして針仕事に慣れた手です。

刺し子独特の運針方法はありますが、針仕事に慣れた方であれば、ぐんぐんと能力は伸びていきます。初めて間も無いのにも関わらず、びっくりするほど上手になる高齢者が存在しうる仕事なのです。

 

現代において、「仕事ができる」ようになる為には、何かしらの技術や特技が必要かと思います。それはITリテラシーだったり、事務処理能力だったり、問題解決力だったり。それを高齢者の方に求めるのは大変です。

 

本来、特技だったり技術だったりした「針仕事ができるという手」。機械化された現代では、たしかに相対的価値がなくなりつつある技術なのかもしれませんが、だからといって絶対的な価値がなくなった訳ではなく、上手に紹介し、その手仕事の素晴らしさを社会に認識させる事ができれば、その相対的価値も蘇ると思うのです。

 

高齢化が進む社会の中で。

IT化が進む社会の中で。

 

「できる人」と「できない人」の二極化が進むのは仕方がないとしても、過去に存在した価値観すら忘れてしまうような社会にはしたくないのです。「できる人」と「できない人」が分かれてしまうのは仕方がない。でも、「頑張ろうと努力する人」が再度輝ける社会であって欲しいと思うのです。

 

それが何歳であろうと。

刺し子も含んだ日本の手仕事という分野は、この世界規模の社会問題を、少しでも解決する問題解決モデルになれるのかなっと期待を抱いています。

 

それが僕がSashi.Coに期待することの一つでもあります。

 

2. 「もったいない」という日本的考え方の世界的発展

 

僕が学生として、日本国外で初めて生活を始めた日から、すでに12年が過ぎました。

東京で就職していた時もあるし、家業で働いていた時期もあるので、実際にアメリカに滞在しているのは学生時代と、家業を辞めてからの足掛け6年ちょいなのですが、日本的な考え方の素晴らしさを度々実感することがありました。

 

日本的な考え方の素晴らしさは、書けば書くほどキリがなくなるのだけど、その中でも

「もったいない」

 

という考え方は、日本人独特の素晴らしい文化だと思うのです。

 

日米の製造業を比較した、とても興味深い話があります。

 

一つの車を製造する際に100個のパーツが必要とすると、アメリカの製造業はパーツ製造の欠陥率を計算し、それを踏まえた上で100個以上のパーツを作る。(例えば欠陥率が10%だとしたら、110個のパーツを作る。)

それに比べて日本は、欠陥率を0%にすることを前提とし、100個のパーツを完璧に作る。

 

これは製造業における「効率性の違い」を表した喩えなのですが、僕がこの話を聞いた時に思ったのは、「もったいない」という言葉でした。

 

車一台でも、パーツ一つでも、ステーキ一枚でも、りんご一つでも、お米一粒でも、そこにはたくさんの人々の汗と時間が注ぎ込まれています。そんな「物」を大切にし、もったいないと思える日本人って、「なんかいいなっ」と思ったのです。

 

これ、世界に広められたら、なんか楽しくて良いことが起こるような気がしませんか?

 

 

3. 価値観を、もう一度シフトさせる。

 

資本主義社会が最終的に行き着く場所は、やっぱり「お金が全て」の社会です。僕自身、お金には強いこだわりを持っていますし、そのお金に対する強い思いが悪いとは決して思いません。

 

しかしながら、30数年生きる中で、

「お金では表現できない価値観が存在する」

ということも、なんとなくですがわかってきたのです。

 

「お金が一番」

という当たり前が存在する世の中で、敢えて「お金儲けだけを意識しない事業」を展開させる面白さが、Sashi.Coにはあります。1着20万円前後の刺し子ジャケット。これが飛ぶように売れるとは思っていません。そして、きっと年間にどれだけ頑張って作っても20着。どれだけ必死になっても、ジャケットの売り上げだけだと400万円にしかならないのです。これ、売り上げですよ。純利益にしたら、ジャケットの販売だけで生活に十分な金額には決してなりません。

(*なぜこのような無謀な生活が可能になっているかはまた説明しなきゃですね。淳の嫁の理解がとても大きいです。)

 

年間20着のプレミアだ……として、20万円の服は、衣類にしてはとても高価なものですし、僕自身が20万円のジャケットを購入できるかといったら、答えは残念ながら「No」です。購入できても10万円弱の作務衣くらい。

 

それでも、20万円という価格の中には、恵子と恵子のお手伝いをしてくれている人たちの、膨大な時間が注ぎ込まれています。全て手作業です。何も自動化されていない環境から生まれてくる作品なのです。

 

 

「お金が全て」

という価値観から

「お金を流動させて、お金以外に存在する価値を大切にしよう」

という価値観に、社会全体が移行してくれたらいいな……なんて青臭いことを考えているのです。「お金を流動させながら、お金以外の価値を大切にして素晴らしい人生を送っている」多くの知人、友達、仲間が世界中に散らばっているからこそ、青臭いながらも、断言できる言葉です。

 

一生懸命な人が報われる社会。それはそんなに難しいものなのでしょうか。

 

*昔から言われる様に、(資本なく)働く人は貧しく、(資本あって)遊ぶ人が豊かになるという社会には限界がある様な気がします。とはいえ、その社会が何百年と続いているので、僕が今いっているのが戯言なだけなのかもしれませんが。

 

 

布と糸と針で完結するプロの世界

 

シンプルに、それでいて強烈に。

布と、糸と、針と、そしてそれを扱う両の手だけで完結するプロの世界。それが刺し子です。熟練の技は、「刺し子ミシン」なるもののスピードすら超え、まるで魔法をみているかのように、布が補強され、綺麗な模様が作り出されていきます。

 

「刺し子」は、日本のどこにでも存在した文化です。

多くは、冬、雪に包まれて畑作業ができない寒い地域や山に囲まれた地域において、冬の女性の仕事として存在しました。東北や北海道、そして飛騨や長野に存在した刺し子や針仕事がその例です。もしくは、漁師町に「漁に行く漁師たちに着せる安全祈願の野良着」として存在したともいわれています。淡路島等に伝わっている刺し子がそれだと理解しています。

 

冬、家族のことを思いながら夏に使う野良着を補強し、また残った布で自分のモンペを補強し、また糸を使って模様を作り、わずかながらのおしゃれを楽しむ女性の仕事だった刺し子。

仕事にでる男たちの安全を祈願し、ひとはりひとはり思いを込めて作った野良着、そしてその針目に込められた愛情と想い。

 

この女性たち。僕にとっては、紛れもないプロなのです。

そして、Sashi.Coと、それを形にしようとしている二ツ谷恵子&その仲間の皆さんは、僕にとって、紛れもないプロで、Sashi.Coのジャケットや作品こそが、シンプルかつ強烈な、プロの仕事だと断言できるのです。

 

 

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