想像力の大切さ – 刺し子を通して伝えたいこと (1)

インスタグラムでの配信にて。そして皆様からのご質問に答える形で、刺し子に対する思いを言葉にするようになって。不思議なもので、言葉を綴れば綴る程、止めどなく溢れてくるものがあるのです。「刺し子と一緒に生きてきた……」と言っても、ずっと刺し子をしていたわけではありません。ただ、文字通り、幼少期からずっと刺し子を見てきた中で自然と培われてきた思いや考え方が、言葉を通してやっと表現できているのかもしれないな……と。

「刺し子を通して伝えたいこと」は、きっと毎週のインスタグラムでの配信にて伝えているし、これからも伝え続けていくんだろうと思うのです。ただ、時に、こうやって文章にして纏めるのも必要かなという区切り点の意味合いも含めて、「想像力の大切さ」に焦点を当てて、少しだけ刺し子を文章にできたらと思います。

想像力を働かせるゆとり。優しさ。強さ。

現代社会、残念な事に「知らないほうが幸せ」なことが多いと思うのです。衣食住、全てにおいて「疑問を持たないこと」を実践した方が、ずっと生きやすいし、大きな声について行く方が、楽(らく)なのです。自分以外の誰かに決断を任せてしまえば、それだけ言い訳できる逃げ道も増えますし、何よりも、想像力を働かせるだけの時間やゆとりがあるような優しい社会ではないのかもしれません。

ただ、誰かに付いていくことに慣れてしまうと、自然と(目に見えない誰かとの)従属的な関係ができてしまうと思うのです。声が大きい人、表現が上手な人、もっと言えば資金力があり他に影響力が強い人が中心の社会になってしまうし、実際現代社会は、そういう成り立ちをしているのかもしれません。従属的な関係が悪いというつもりはありません。ただ、意図できた段階で誰かに従っているか……と言われれば、なかなか「私はただ従っているだけです!」と明言できる人は少ないのでは無いのでしょうか。

だからこそ、「自分と対話して、(当たり前が)本当なのか?」を想像できる人というのは、人間性のバランスを保つ上でとても大切な存在だと思っています。昔の自分が、「(自分が思う)絶対的正義を盾にして残酷にもなれる人間」だったので、戒めの気持ちも込めての一言です。刺し子をして、布と向き合い、両手が塞がった状態で半強制的に自分自身と対話をすることで、想像力を働かせることのできるゆとりや、優しさ、そして強さを感じることができたら良いなと思うのです。刺し子を通して伝えたいこと – 「想像力からくる思いやり」の大切さです。


だからこその規則がない刺し子

繰り替えしになりますが、上記の段落は、自分への戒めの文章でもあります。言葉遊びが好きで、声も大きめな僕は、こうして意識をしながら話をしないと、結果的に従属的な関係を作ってしまうこともあるのです。「淳の考え方に共感するから。淳の文章が好きだから」という主観的な(あるいは自発的な)思いから、関係を頂けている方が中心だと思っています。できる限りフラットな、年齢差、経験差、技術差、諸々の違いを乗り越えて、長年の友達のような関係を作ることが、刺し子を通した活動の大きな目的の一つです。

だからこそ。だからこそ、「刺し子には正解も間違いもないよー!あるのは好き嫌いだけだよー!」と声を大きくして伝えるようにしています。正確に文章を表現すると、僕や恵子さんの行っている刺し子に正解は存在します。ただ、その正解は、僕や恵子さんの好みが基準になっているだけで、「刺し子という大きな分類」の中では、好みではあれ正解ではないと信じているのです。

ある程度声が大きいと自覚している自分だからこそ、その戒めの気持ちも込めて、「規則がない刺し子」を主張していきたいと思っています。もちろん、規則がないと主張した上で、「何をどうしたらもっと刺し子が楽しくなるか」というアドバイス的な考え方は積極的に紹介していくつもりではありますが。

もっと言うと、「刺し子に正解は無い」と言っている理由は、「正解(芯)は自分で探してね」というメッセージでもあるのです。僕や恵子さんの刺し子を好きになってくれて、一緒に歩んでくれるのは嬉しいけれど、でも、自分なりの刺し子もしっかり持って欲しいと思うのです。そんな違いが(小さくても大きくても)魅力であり、RPGゲームでいう「強いパーティー」のように、いつでもどんな課題も楽しんで乗り越えられる刺し子友達集団が作れるかな……と。

これは主に日本国外の「刺し子好き」と言っている方に伝えたいことなのですが、僕たちは刺し子の技術を紹介することによって、ジグソーパズルのピースを渡すことはできると思っています。でも、パズルは自分で完成させて欲しいのです。完成させるまでの過程、どのピースがどこにあてはまりそうかというのは、是非自分で楽しんでほしいのです。完成されたパズルを買ってきた方が楽ですが、でも、その過程にこそ楽しさがあるんじゃないかなと。

もっと端的に。「質問するな」って言ってるんじゃないんです。「まずは考えてから」と思うのです。どこだったら、このパズルのピースは当てはまるんだろうと考えてから、悩んで苦しんで、それでもわからなかったら聞けばいいと思います。でも、だいたいのことにおいて、それだけ考えて手を動かすと、解決できるんです。所詮、刺し子は昔の誰もが行っていた手仕事なので。

ちなみに、知らないことは恥ではありません。ただ、”自分が知らないことを知らない”のは、やっぱり恥ずかしいなぁと、自戒の念も込めて思うのです。

刺し子は居場所。

僕たちの刺し子の活動においてのキーワードは「共有」です。結果的に何かをお教えしたり、指導したりする形になるのは仕方ないと思っています。ただ、その上下関係を最初に意図しないようにしたいと思うのです。「共有」を常に念頭においておけば、きっと望む人誰もが気楽に参加できて、且つ各々が共有して、なんか楽しい場所になるんじゃないかな……と。

昔の日本人の暮らしは、想像することによってイメージを膨らませることしかできませんが、他愛もない話をして、時に喜び、往々に愚痴り、そして一緒に針仕事をしていたんじゃないかな……と思うのです。今行っているインスタグラムでの配信は、そんな昔に存在した「かもしれない」居場所に似た何かになればと思うのです。

想像力があると、誰かを気にする余裕ができます。

それまで週に2回、必ず配信にてコメントを下さっていた方が、ふと何週間もいなくなると、やっぱり「何かあったんじゃないだろうか」と不安になったりします。刺し子好きな方が属せる場所であり、また、現代社会にはなかなか存在しない「居場所」なんじゃないかな……と。年齢も、性別も、会ったこともない人が、「刺し子」というキーワードを共有することで、一つの場所が作れる。これってやっぱり、凄いことだなと思うのです。想像力のちから……なのです。


刺し子を伝えたいこと – まだまだ止まりそうにありません。次回は(2)として、また文章にできたらと思っています。

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