刺し子とは何か

刺し子とは何か | 刺し子を見つめ直して

とても大切に思っている方々から、「刺し子とは何か」について改めて想いを聞きたいとのご連絡を頂きました。できるだけ簡潔に纏めてお返事を差し上げようかと思ったのですが、やはり刺し子に対する想いは簡単に纏められるものではなく、インスタグラムのライブ配信で日々話していることも含めて、文章にしておこうかなと。「刺し子とは何か」を改めて考え、刺し子を見つめ直して文章化してみます。

 

刺し子とは「当たり前の日常」の針仕事

 

「刺し子」というと、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?一般的には、幾何学模様の針目が綺麗な刺し子ふきんだったり、一目刺しの刺し布だったりを思い浮かべるのかなと思います。僕自身もそうです。「刺し子」と聞いて、お洒落な日本刺繍は頭には浮かんできません。

Wikipediaにおいては

刺し子(さしこ)とは、手芸の一分野で、布地に糸で幾何学模様等の図柄を刺繍して縫いこむこと。保温、補強等のため麻布や木綿布に木綿糸で補強したものが始まりとされている。藍色の木綿布に白糸で刺すものが定番であるが、最近では、布、糸ともカラフルな色合いのものもできてきている。

と説明されています。

 

少し加筆するとすれば刺し子は、「日本人が、当たり前の日常の中で、当たり前に行っていた針仕事」だと思うのです。多くの貧しい地域で育まれてきた刺し子は、多くは必要性に借り立たれて、そして時代が移るにつれ、補強だけでなく修復&装飾を目的とした針仕事に変化してきました。私は、そんな日本各地の、特に貧しい地域に存在した針仕事を称して、「刺し子」と呼ぶのではないかと思っています。

 

昔の日本人の針仕事=刺し子であれば、どんな針仕事も刺し子なのか?

 

という疑問を抱かれる方もいるかもしれません。針仕事の分野というのは、それだけに広いのです。あれは刺し子で、これは刺し子じゃない……と、白黒をハッキリさせてしまうのは、私の望む所ではないと前置きをしておいた上で文章化すると、刺し子は「少しでも快適に生き延びるための知恵の結晶」としての針仕事だと思っています。

 

素晴らしい日本刺繍や和裁といった針仕事の文化は、工芸であり、芸術です。作る目的が「衣」であり、また身を飾るという意味合いでの装飾です。もっと端的に言うと、日本刺繍や和裁は、当時の一部の貴族階級の為の針仕事だったと思うのです。

シンプルさに注目が集まっている刺し子は、私の思いの中では、工芸でも芸術でもありません。あくまで、日常に当たり前に存在した針仕事です。当初の刺し子の目的は装飾ではなく、荒い麻布の目を埋めて暖を確保するための針仕事であり、充分に手に入らない布地を繰り返し使う為に補修する針仕事であり(後の襤褸)、また貴重な布そのものを丈夫にする為の針仕事だったと思っています。

 

貴族でも武士でもない一般市民が、日々の生活の中で、当たり前のように行っていた針仕事のことを刺し子というのだと思います。刺し子は、目的を持った(必要性を伴った)針仕事として日常の中に、その目的は装飾のみではない……という所に、刺し子の独自性(ユニークさ)があるのではないかと思っています。

 

尚、当たり前に存在していた刺し子(その多くはより貧しかった東北に残されていた刺し子)は、大正時代の民藝運動によって見出され、「用いて即ち美しい(用即美)」を伴う日本的な手仕事として、日の目に当たることになりました。民藝運動以前に「刺し子」という共通単語があったかどうかすらわかりません。私の出身の飛騨地域では、「つんづり」という名で、布を補強&補修する針仕事が残っていたようです。

 

正解も間違いもない「刺し子」

 

刺し子を生業にしていて、且つ海外で刺し子を紹介していると、良く聞かれる質問があります。

 

”どれが正しい刺し子ですか?私の刺し子は間違っていますか?”

 

常に正解が存在し、規則が当たり前の社会では当たり前の質問だと思います。刺し子を始めるなら、正しい刺し子を学びたいのは、とても自然な感覚です。ただ、私は、「私が思う刺し子には正解も間違いもありません」と答えています。残念な表情を浮かべられる方もいます。確かに、正しいかどうかを判断して貰った方が楽なのです。

 

上記で、「あれは刺し子で、これは刺し子じゃないと定義するのはしたくない」と前置きをしましたが、個人的には、「何が刺し子かどうか」を決めつけてしまうのは無粋なのではとすら思っています。その理由の詳細は後にもっと書きますが、刺し子が日常に当たり前に、且つ日本各地に存在した針仕事である以上、形式的に、こちらは刺し子で、あちらは刺し子ではないと定義はできないのだと思います。まず、定義できるだけの判断材料がないのではないかというのが、正直な思いです。

 

その為、私が刺し子を紹介する際には、

刺し子には、正しい刺し子も、間違った刺し子も存在しない。ただ、刺し子を綺麗に魅せる為の技術(コツ)は存在するし、その模様も長年の針仕事の中で星の数ほど作られてきている。こぎん刺し、南部菱刺し、一目刺し(庄内刺し子)、長井刺し子、遊佐刺し子、飛騨刺し子……と、共通項として山に囲まれた地方において発展してきた刺し子は、各地において、それぞれの発展(継承)をしてきている。針仕事に対して、”正しい”か”間違いか”だけにとらわれるのではなく、刺し子が育まれてきた背景も知ってほしい。そこには、布を大切にし、そして家族を大切にしてきた”日本人らしさ”という素晴らしい文化が継承されているから。

 

といった感じで伝えるようにしています。

 

では、どんな針仕事も刺し子と名乗っていいのか?という疑問が出てくると思います。これが個人的にはまだ曖昧な部分で、もっと言えば、これに白黒をつけることそのものが無粋で、日本人的ではないかな……と思っています。西洋的な考えの二元論ではなく、白でも黒でもないグレーゾーンの曖昧さの中で刺し子を捉えても良いのではないかとすら思っています。でも、どうせなので、私の思う刺し子の白と黒、そしてその間をご紹介しようと思います。

 

刺し子だと思うもの

上記で紹介した、こぎん刺し、南部菱刺し、庄内刺し子という日本三大刺し子は勿論のこと、それ以外の地域で育まれた針仕事は、全て刺し子だと思っています。山に囲まれ、夏は野良仕事に精を出し、冬は雪に覆われてしまう地域では、刺し子のような針仕事は当たり前に行われていたんじゃないかと思っています。名前が残っている地域だけでも、青森県津軽&南部、山形県の庄内&長井&遊佐地方、岐阜県飛騨&時山地方、そして淡路島の方にも刺し子文化が残されていたと文献で読んだ覚えがあります。もちろん、私が知らないだけで、他の地域にも残されていたと思いますし、地域ぐるみでなくても、それこそたった一人だけでも、「誰かを思う針仕事」をされていれば、素晴らしい刺し子だなぁと思うのです。究極にシンプルな直線のぐし縫いだけでも、刺し子だと思っています。

 

*いつか日本全国の刺し子を訪ねて歩いてみたいと思っています。2013年まで、飛騨さしこの”商売”に力を入れすぎていた為、大きな文化としての刺し子には、思いこそあれ、一歩踏み込めていませんでした。いつか必ず。

*「誰かを思わなければ刺し子じゃないのか?」という難題を頂いたこともありますが、個人的には、ふきん一枚刺すだけでも2時間かかる刺し子は、誰か(何か)を思わずにはできません。喜怒哀楽。別にポジティブなものだけど”思い”としているわけではなく、妬みや嫉妬、そして恥なんかも、刺し子を形作る大切な要素だと思っています。

 

刺し子ではないとするもの

刺し子 / SASHIKO という言葉が世界でも通用するようになり、「刺し子柄」を印刷した布を「刺し子」として販売されているのを見るようになりました。麻の葉柄や七宝柄が印刷された布は刺し子ではありません。麻の葉柄や七宝柄が印刷された布地は、日本伝統の幾何学模様が印刷された布地であり、刺し子とは全く関係がないんじゃないかとすら思っています。同様に、ロシアワールドカップサッカー代表のユニフォームに「刺し子柄」が採用されましたが、あれも、刺し子ではないと思っています。勿論、「刺し子柄」と説明されていたので、間違っているわけではないのです。刺し子柄だったら問題ないと思っています。伝統柄を印刷された布地を「刺し子布」として販売するのは、誤表記です。

 

「刺し子=針仕事」と強く信じているので、個人的には大好きな布地なのですが、「刺子織」の布地も、刺し子ではないのかなぁと思っています。刺し子の強さを求めて織られた刺し子織りは、日本伝統の織物として確固たる立ち位置がありますので、敢えて刺し子の定義の中に入れなくても良いんじゃないかなんて思っています。

同様に、もう既に確固たる立ち位置がある針仕事&手仕事は、刺し子だとは思っていません。というか、刺し子の中に組み込んだら逆に失礼な気がしていて、こちらから遠慮しているようなものです。例えとしては

  • 日本刺繍
  • 和裁(着物の仕立て0
  • 各種西洋の刺繍(エンブロイダリー)
  • パッチワーク / キルティング

 

曖昧にしておきたいもの(後世に判断を残したい)もの

以下に記すものは、個人的には曖昧にしておきたいな……と思う、刺し子関連の文化です。私自身が、「刺し子には正解も不正解もない!」と信じている以上、できるだけ多くの針仕事文化を刺し子と捉えたいのですが、一般的には刺し子と見なされないものが多いかもしれません。

  • 刺し子ミシン: 手仕事ではない刺し子。裏面をみると吃驚するのですが、これも刺し子の一部になる可能性はあるのかなぁと。西洋であった、手縫いのキルティングとマシンキルトの大論争みたいにはなってないところに、趣があります。
  • その他手縫いの技術チェーンステッチだったりクロスステッチだったり、それこそ沢山の刺繍の技術はあるのですが、これと刺し子を組み合わせて「刺し子作品」と表現される場合もあります。2013年までは、「そりゃ刺し子じゃねーよ」と思っていたのですが、最近は「大きな定義で刺し子と考えられるのかも」と考えに変化が出てきました。
  • 刺繍糸等での針仕事:これは「とても刺し子に近い」ところで曖昧になっています。「刺し子糸じゃない糸で刺繍してもいいですか?」という質問を良く頂くのですが、答えは勿論、「どんな糸で刺して頂いても良いですよ!」です。しかしながら、「刺し子糸」には刺し子糸の意味があるのです。その独特な撚りによって、刺し子の針目が綺麗に出るように作られています。これが刺繍糸では出ないのです。「刺し子」は昔の日本人の知恵を、今の形に残した歴史の上に成り立っています。その成り立ちを尊重する針仕事を刺し子と呼んだ方がいいのではないかなぁと思い、一般的な針仕事は、まだ曖昧な所に位置しています。(余談ですが、一般的な針仕事を刺し子としてしまうと、仕立て等も刺し子なのか……?という新たな疑問が出て来るという問題もあります)。

 

現代において、一般的に知られている刺し子

 

何が刺し子で、何が刺し子ではないか……という個人的な思いを延々と書いてきました。上記の定義は、私個人の、刺し子にずっと携わってきた人間としての思いです。

 

現代社会において、一般的に知られている刺し子が存在します。一般的な方(刺し子好きなお客様)は、何が刺し子で、どれが刺し子かどうか……は、あまり考えません。現代において残された「刺し子らしい」刺し子作品を、刺し子として認識され、そして気に入って下さいます。極論にはなりますが、「チェーンステッチ」をした手仕事作品を、「刺し子作品です!」と販売しても、刺し子好きな方は購入されないかと思います。それは、「一般的にはチェーンステッチは刺し子と認識されていない」からです。刺し子そのものに興味が薄い方は、チェーンステッチの作品も素敵なデザインに注目されて購入されるかもしれません。しかしながら、刺し子好きな人が求めているのは、「これぞ刺し子!」と呼ばれるものだと思うのです。

 

「これぞ刺し子!」と思わせることができる刺し子が、上記でも紹介した、「こぎん刺し、南部菱刺し」、「一目刺し」、そして伝統柄を刺した刺し子です。

 

 

刺し子には正解も間違いもないと書きましたが、この「刺し子の王道」をしっかりと見つめることは、「刺し子とは何か」を見つめ直す上で、とても大切な事だと思うのです。

 

*私達は、伝統柄等を波縫いにて刺し子をして、作品を作っています。一目刺しも使います。こぎん刺しや南部菱刺しは、「目を数える」という意味合いで、波縫いとは違ってくるので、ほぼ素人同然ですが、こぎん刺しや南部菱刺しの作家さん達と交流を深めて、しっかりと刺し子を伝えていけたらと思っています。

 

お味噌汁と刺し子の例え

 

刺し子の曖昧さ」と「これぞ刺し子!の思い

結局どうなんだ?っと矛盾を感じてしまう方もいらっしゃるかもしれません。なかなか上手に言葉にできなかった感覚なのですが、インスタグラムでの配信を通して、とても上手に例え話を作れたと思っています。そんな、お味噌汁と刺し子のお話をご紹介します。

 

「お味噌汁」は日本人の日常に溶け込んだ、日本人的な食べ物です。お味噌汁を毎日食べるのは、日本人(もしくは日本人になった外国人)だけです。



お味噌汁に正解や間違いはあるでしょうか?

私が大好きな豆腐と長ネギのお味噌汁を正義とし、苦手な茄子のお味噌汁を間違いとしてしまって良いのでしょうか?オクラを入れるお味噌汁もあるし、コロッケをいれるお味噌汁もとても美味しいです。お味噌汁に存在するのは、正解や間違いではなく、「好み」なのです。

また、お味噌汁には正解や間違いはありませんが、「良い=美味しい」お味噌汁と「そんなに良くない=あまり美味しくない」お味噌汁が存在します。でも駄目なお味噌汁は存在しないと思っています。お湯にお味噌を溶かしただけでも、なんとか食べられますし。良いお味噌汁には、素晴らしい出汁の存在が必要不可欠です。出汁も、様々な食材から取ることができます。そこに間違いも正解もないのではないでしょうか?

 

ここで少し頭を刺し子に切り替えて下さい。

お味噌汁を刺し子と考えて欲しいのです。

極論ですが、ぐし縫いの刺し子とこぎんの刺し子、両方を比べる際に、どちらが刺し子か?という議論があったとします。(もうここまで刺し子について読んでくれてる人は、そんな比較は必要ないとは思いますが)。

 

ある人にとっては、ぐし縫い伝統柄の刺し子が豆腐と長ネギのお味噌汁でしょう。

ある人にとっては、こぎん刺しが、油揚げとわかめのお味噌汁でしょう。

そこには好みこそあれ、正解も間違いもないのです。

こういった小さな好みの違いが、刺し子の世界にも存在し、それぞれの刺し子(お味噌汁)が、それぞれの技術(出汁)をベースに発展してきています。それぞれの地域で味があり、それぞれの刺し子に感動があります。

 

また、私個人的には、この出汁の原料は各地違いこそあれ、出汁を取る技術は「運針」として共通項だと思っています。もちろん、各材料によって、最適な出汁の取り方は違うために、技術そのものを普遍化することは難しいですが、出汁をしっかり取れる(運針がしっかりできる)ことこそが、美味しいお味噌汁を作る(素敵な刺し子を作る)上で、とても重要なことだと思っています。

 

もう少し続きます。

何が刺し子で、何が刺し子ではないか……という曖昧な話も、お味噌汁の例え話で少し解決します。

 

さて。お味噌汁の出汁が上手に取れるようになりました。具も完璧です。

最後に火を止めてお味噌を入れる際に、醤油を流し込んだら、それは「お味噌汁」でしょうか?醤油もお味噌汁も、大豆から作られる似たようなものです。でも、出汁と具に醤油を流し込んでしまったら、それは美味しい「すまし汁(お吸い物)」ではないでしょうか?

 

すまし汁が良い悪いと言っているのではないのです。そんなの好みの問題です。

ただ、「すまし汁とお味噌汁は違うよ」と言いたいのです。この一例に、刺し子と刺し子ではないものの違いが、存在します。例えて言えば、刺し子がお味噌汁であれば、刺子織はすまし汁のような……。これも好みの問題です。

 

じゃぁ……お味噌とお醤油を同時に入れたら……、とかお味噌の上澄みの醤油っぽい液体だったら……とか、海外の出汁(ブイヨン)を使ったら……とか、もう想像はどこまでも広がります。それぞれに正解と間違いをつけていたらキリがないのです。全て正しい。美味しい。

 

「刺し子は日常に溶け込んだ針仕事」だという思いを、少しはお伝えすることができたでしょうか?

刺し子とは何か……の答えは、このお味噌汁の例えの中にあると思うのです。

 

お味噌汁は日本人の歴史の中で埋もれてしまうことがありませんでした。「食」という文化の性質もありますが、日々当たり前のように、ずっとお味噌汁の文化は受け継がれてきました。刺し子はお味噌汁と違い、その手仕事の手間と社会の移り変わりの中で、「必要性」が失われてしまいました。現代では布を補修するより買った方が早いですしね。Repair insted of Repalce (購入するのではなく、補修する)とは良く言ったものです。

 

刺し子が新しい角度で光を浴びるようになり、少し意味合いがズレて来てしまった感もありますが、それでも根本的なところで、刺し子はお味噌汁なのです(!?)お味噌汁を見つめ直すように、今後も刺し子を見つめ直して行きたいと思っています。

 

刺し子は完成品のみではなくプロセス

 

「刺し子ジャケット完成しました!」と紹介することがあるように、完成品としての刺し子を紹介することも多々あります。

しかしながら、私個人的には、刺し子の本質は「運針をして模様を出す過程」にあるのだと思っています。刺し子の歴史を調べれば調べる程、刺し子とは「針を動かして思いを込める」という「動詞(Verb)」なのではないかと思うほどです。

 

刺し子関連で、世界的に有名になった言葉に襤褸(BORO)があります。

アジア系テキスタイル&アート好きな方で、BOROを知らなかったら嘘になるほど、多くのアートディーラーが日本へ襤褸を買い付けにきています。襤褸のお話は次回にするとして、このBOROとSASHIKOの違いをする説明する際に、私は刺し子はプロセス(過程)だと紹介しています。

 

「布を大切にする思いから、繰り返し刺し子をした結果が襤褸だ……。」と。

 

同様に、日本国内においても、「刺し子好き」な方は、その手仕事に惚れていらっしゃる方が多いのではないかという思いでいます。永遠とも思えるような手仕事による針仕事に感動して、刺し子作品を購入して下さるのではないかと。

また、「そんな大量の刺し子はできない……」と思いつつ、手を出し、病み付きになってしまってずっと刺し子をしてらっしゃる方も少なくないはずです。刺し子は中毒性がありますので。

 

刺し子を好きでいて下さる方は、刺し子作品を購入してくださる方は、その刺し子作品と同時に、針仕事に込めた思いや時間も一緒にして購入して下さっていると思うのです。刺し子作品は決して安いものではありません。贅沢品です。下手なブランド物より高価です。でも、大量生産されるブランド物よりも、数カ月費やして完成する一点物の作品に価値を見出して下さる方がいて、刺し子は今日も成り立っています。

 

先程の例をすれば、お味噌汁専門店が生き残れるのは、その出汁への愛情を大切に思って下さる方がいるからです。(お味噌汁専門店の生き残りが大変なのと一緒で、刺し子専門店の生き残りも大変ですが)。

 

 

刺し子ミシンも、海外の安価な労働力を頼った手仕事の針仕事(これも定義的には刺し子)も、刺し子作品を製造販売する私達にしてみると、余り脅威ではありません。一般的な資本主義の考え方で言えば、安価で効率良くものが作れた方が「勝つ」のでしょうが、刺し子という手仕事ばかりは、「勝つこと」が全てではないと思っています。

 

ビジネス(商売 & 経済の流通)の基本は、いかにお客様に満足して頂けるか……です。もっと言えば、いかにお客様に驚いて(ワクワクして)頂けるか……です。

そして「刺し子が好きな方」にご滿足頂き、且つ驚いて頂く為には、刺し子をふんだんに盛り沢山にした、針目の力強く、綺麗で、繊細で、且つ個性がある刺し子を作り出すことです。この基本を忘れないように、今後も刺し子作品を作り続けていきたいと思っています。

 

 

 

刺し子が好きな一人として

 

簡単に纏められなかった、「刺し子が好きな一人として」の刺し子話です。

手元にある刺し子を見つめ直して、刺し子家業に生を受けた過去を見つめ直して、刺し子とは何かを精一杯言葉にしたつもりです。

 

2013年まで、私は「刺し子をビジネスとして残そう」と必死でした。20代後半の全てを捧げたと言っても過言ではありません。「刺し子を後世に残すためには共有するしかない」という結論に辿り着いた後、その思いへの理解を示してくれた父親が亡くなり、結果として私と母親は独立という道を選ぶしかありませんでした。

今でも、「刺し子とビジネス」という考えは残っています。何か文化を残そうと考えた時に、そこには経済活動が必ず必要になってきます。「残ったものが文化であり、残そうとするのは文化ではない」という思いも以前はあったのですが、それは「刺し子と共に生きてきた一人として」あまりにも無責任過ぎるのではないかと思いだしたのも2013年以降です。文化は残そうとした人が努力し、結果残ったものだと思っています。残すものでもあり、残るものでもあるのです。

 

刺し子は株主が喜ぶ高配当のビジネスには成り得ません。資本主義の原理から外れているからです。

しかしながら、刺し子は「コミュニティ・ビジネス」として、社会の問題解決だったり現代人の問題解決の一翼は担えると思っています。そこにはニーズも出てくるでしょうし、ニーズが出て来れば雇用(仕事)も発生します。隙間中の隙間ではありますが、それでも「日本人らしさ」を後世に、そして世界に広げる為に、今後も刺し子を通して、私達を表現していけたら良いなと思っています。

 

そして、一人でも多くの「刺し子が好きな素敵な方々」とご縁を頂けたら、そんな素敵な方々を刺し子で驚かせることができたら……なんて思っています。

 

偉そうに、私が知っている刺し子以外のことも書きました。文献もまだまだ読み足りていない自覚もございます。記載に間違い等ございましたら、コメント欄、もしくは直接お問い合わせにてご指摘頂ければと思います。お話を伺い、間違いは直ぐに訂正致します。

「刺し子」は誰のものでもなく、日本人の集合知だと思っています。日本人の集合知だからこその美しさがあり、その美しさ(と背景の文化)こそ、私が後世に残していきたいものです。

 

今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

 

二ツ谷淳:文責

二ツ谷恵子

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