大槌刺し子 への支援糸

 

Sashi.Co は、 大槌刺し子 と一緒に行っている「(仮)大槌刺し子100個バッグプロジェクト」に使用する、草木染め刺し子糸への支援のお願いを始めました。(支援募集ページ)

1口370円を頂くことで、Sashi.Coから大槌刺し子へ約73メートルの草木染め刺し子糸を送り、大槌の刺し子さんが製作するバッグに使用して頂こうという、「支援糸」プロジェクトです。

 

なぜ今、支援なのか……

大槌刺し子は、2011年の東日本大震災後に、有志の方々の思いと共に大槌町にて立ち上げられた、震災復興のプロジェクトです。「刺し子」という手仕事をキーワードに、雇用と仕事を創出し、「刺し子」を通してみんなが集まれるコミュニティを今後も存続していくことが目的です。

 

この文章をお読みの方の中には、不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

「震災から4年半以上も経って、なぜ今、支援を持ち出すのか?」

 

僕もこの「支援糸」を全面に出そうとする際に、迷いました。

今、このタイミングで、被災地復興支援を打ち出すことは正しいことなのだろうか……と。ただ、迷っていても、正しいかどうか悩んでいても、大切なものが守れなければ、それは意味がありません。

 

だから、4年半の間に素晴らしい形となった大槌刺し子のコミュニティを守る為にも、言葉にし、文章にし、動いてみようと思い立ちました。

支援をお願いする以上、僕たちには説明責任と報告責任が発生します。どういう理由で支援を募り、そしてどういう形で皆様のご厚意が使われていくのか……。

 

Sashi.Coの二ツ谷恵子&二ツ谷淳の親子の気持ち、大槌刺し子の現状、運営母体のテラ・ルネッサンスの覚悟、そして僕の目から見た震災復興のカタチ等も含めて、このSashi.Coのウェブサイトで文章にしていきます。

 

支援糸は何に使われるのか

支援糸は「(仮)大槌刺し子100個バッグプロジェクト」でのバッグ製作時の刺し子に使われます。この100個バッグプロジェクトは、「刺し子さん一人に対して一つの作品の刺し子を全て担当して頂き、刺し子の包括的な技術向上」を目的としたプロジェクトです。

100個とは当初に思いついた数字で、100個できたら圧巻だろうなという思いから出た数字です。プロジェクトが続く限りバッグも作り続けたいと思っていますし、その数字が200個、5o0個、1,000個っと続いて言ってくれれば、嬉しいことこの上ありません。

 

このプロジェクト、何点か約束事があります。

それは、「本来の刺し子の姿をできる限り尊重すること」と「できる限り良い質の材料を使うこと」です。簡単に言うと、材料の面で妥協をせず、良いものを精一杯作ろうというプロジェクトです。材料の他にも、「継続性&再現性」を重要視していますし、また完成品のバッグそのものが今後のプロジェクトの利益となるようにデザインにも気を抜かないようにしています。

上記の約束ごとのカタチとして、「古布(日本のアンティーク布素材)をたくさん使うこと」と「天然染料で染めた草木染めの刺し子糸を使うこと」を決めました。これは、古布(藍染布や草木染め布含む)と草木染めの糸を使って、「刺し子らしい刺し子」をもう一度カタチにしたいSashi.Co & 二ツ谷恵子の願いでもあります。

 

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この刺し子に使われているのが草木染め刺し子糸です。支援糸でまかなえることを目標としています。

 

古布や草木染めの糸は決して安価なものではありません……。

このプロジェクトが軌道に乗り、バッグの販売益から経費を出せるようになることが最終目的なのですが、製作までに数カ月〜半年程度必要なこのプロジェクトで、現段階で草木染めの糸を出す予算が組めていないのです。

だからと言って、予算がないからできない……というのでは話になりません。

現時点では関係者それぞれが負担を背負っている状況なのですが、それでは上記に掲げた「継続性」や「再現性」のあるプロジェクトにしていくことはできません。

 

そこで、支援糸というプロジェクトと通して、一人でも多くの方に大槌刺し子を知って頂き、支援頂くことによって現状を知って頂き、日本的な手仕事である刺し子についても知って頂き、大槌刺し子にも共感を頂けたら……。

その結果、大槌刺し子と、大槌にある刺し子を通したコミュニティが今後もずっと続いていってくれたらと思うのです。

 

そんな多くの方を巻きこんでいきたい……と願い、そして大槌刺し子の今後の継続を心から願っている僕ができる第一歩が、この支援糸の「再開」です。

 

支援糸への僕の気持ち

支援糸の「再開」と書きました。

僕が大槌刺し子と出会ったのが2011年の6月。

その当時僕は飛騨さしこという刺し子専門店の三代目として働いていました。なんとか大槌刺し子の力になりたいと、当時社長だった父親と一緒に考え、答えとして出したのが「支援糸プロジェクト」だったのです。当時のウェブサイトも全て消えてしまっていて、今あるのは報告ブログだけなのですが、2011年から2013年の11月までの約2年の間に、「2,532口」ものご協力を頂きました。

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2011年に僕が初めて大槌に訪れた時の写真です。

 

当時はまさか父親が急逝し、僕と母親が会社を辞めることになるとは思ってもみなかったので、「運営母体であるテラ・ルネッサンスが続ける限り、そしてテラ・ルネッサンスが掲げる2021年の現地化を見届けるまで、支援糸は続けます!」と大きな声をあげていました。

当時は草木染めの糸はなく、ある程度大量生産ができる一般的な糸の支援でした。1口のご支援で145メートルの糸を大槌に届けていました。その145メートルという長さが、ある意味で現実的な数字になってきて、「大槌と飛騨高山を支援糸で繋げるんだ!」と本気で願い、本気で思っていました。

結果、2013年11月の時点で、約367km分の糸(金額にして100万円以上)のご支援を大槌に届けることができたのです。

その後、経営陣が変わった会社では支援糸の存続は難しく、文字通り志半ばで(大槌と飛騨高山は約800kmの距離)諦めざるをえませんでした。その時の悔しさは……自分が職を失ったことへのショックよりも大きかったかもしれません。あれだけ大きなことを大槌の刺し子さんの前で宣言したのですか……。

 

今回、大槌刺し子から二ツ谷恵子への講師依頼が入った時、一緒に二人で頭を悩ませ、「講師として教えるだけじゃ継続性がない」と判断し、どうせなら一緒にものづくりをすることが一番の最適解じゃないかと決断しました。

と同時に、この支援糸が再開できるかもしれないという希望が膨らんできたのです。

大槌刺し子の現地のスタッフさんともしっかり打ち合わせをして、2013年頃のように、「糸は支援糸で調達すること」ができないかお願いをしました。快諾を頂き、こうしてもう一度支援糸を再開できるようになったのです。

 

本当に嬉しいです。

そして、また支援糸を通して、刺し子をご理解くださる方、大槌刺し子を楽しみにしてくださる方、そして僕の想いに共感頂ける方と出会えるのが本当に楽しみで仕方ないのです。

 

大槌刺し子の現状と、テラ・ルネッサンスの覚悟

これまでにも何度か文章にしてきているのですが、僕個人的に大槌刺し子は、第一義としての目的は達したと思っています。

 

震災後、大槌刺し子が目指したものは、「コミュニティビジネス」という概念でした。

震災で被害に会われた方に、居場所と生き甲斐を一緒になって創出していくという第一義の目的は、毎週行われる「刺し子会」というコミュニティによって形になっています。これが4年半経った今でも継続されているというのは本当に凄いことなのだと思います。

と同時に、包括的には、まだ目的は達成されていません。

本当の意味でコミュニティビジネスが成り立つ為には、地域に根付いて完全に現地化するまでが一つの大きなプロセスです。運営母体のテラ・ルネッサンスは2021年までには現地化させることを目的として公言し、そして、数多くの葛藤を経ながら(一時は株式会社化を宣言しつつも、その宣言を撤回)、今でも諦めずに大槌刺し子プロジェクトを運営しています。

 

今でも最終目的は、この大槌刺し子プロジェクトの現地化です。

その為に今必要なのは、「一人一人の関係者(刺し子さん含む)の技術(能力)向上」と「刺し子業という手仕事的な異業種への理解」だと僕は思っています。

 

技術向上にも、刺し子業への理解にも、とてつもない時間が必要です。

刺し子は、実際に始める為のハードルはそれほど高くありません。針と糸と布があれば、ある程度の刺し子は完結します。しかしながら、刺し子そのものに付加価値をつけて、お客様に購入していただき、且つ刺し子している本人も楽しめるような刺し子となると、格段に困難が増してきます。

 

今までも大槌刺し子は技術向上を掲げてきました。

お洒落な作品もたくさん生み出してきたし、新しい刺し子の一面を教えてくれたのも大槌刺し子です。ただ、「刺し子らしい、ど真ん中をいく刺し子作品」はそれほど多く作ってはきていないと僕は思っています。

それは大変なことなのです。

刺し子らしい作品を作る為には、布の仕入れから下書き、刺し子の後の縫製まで、刺し子だけではない包括的な技術が必要です。今回、Sashi.Coとして二ツ谷恵子との一緒の作品制作で、少しでもこの包括的な技術を伝えられたらと思っています。

 

今まで成功してきた、お洒落でポップな大槌刺し子らしい作品は残しつつ。

新たに「刺し子らしい作品」を作る為の一歩となるのが、この支援糸の対象となっている(仮)100個バッグプロジェクトです。

 

新しい一歩だからこそ。まだ乗り越えなければいけない課題がたくさんあるからこそ。そして、このプロジェクトが大槌刺し子のコミュニティビジネス化の未来を支える一つの柱になると信じているからこそ、支援糸をお願いできればと思っているのです。

 

震災復興について

僕が最後に現地大槌に入ったのは2012年の10月です。2013年の12月にアメリカに移住したことが現地に足を運べていない大きな理由ですが(日本にも2年帰ってない……)、もう3年もの月日が経ってしまいました。

 

僕が震災復興のカタチについて何かを言うのはズレてしまう可能性があるので、あまり極端なことは書けないし書くべきじゃないと思っています。

それでも一つだけ言いたいのは、どれだけ震災復興が進んだかのように見えても、「震災前・震災後」という言葉は、今後もずっと残るのだろうということです。

 

「震災の復興は進んでいるのだから、今更『支援』などと名目を打って何かをするものじゃない」という意見を持つ方もいらっしゃるかもしれない……と、この支援糸を再開するときには不安や恐怖を感じたこともありました。

「支援を募るのではなく、しっかりとビジネスモデルを組んで、利益が出るようにしなければいけない」とごもっともなご指摘を頂くことも覚悟しています。実際にその通りだと思いますし。

 

ただ、「何かを言われるのが不安だから」とか「自分の未熟さを指摘されるのが怖いから」と言った理由でなにも行動を起こさないのは、それは本末転倒だと思うのです。

そりゃ、僕や母親が負担をしてプロジェクトを始めればいいじゃないかという思いもあるにはあるのですが、会社員という肩書きを無くし、子育て専業主夫になった僕と、還暦前にゼロから会社を立ち上げた母親(年金&バイト暮らし)では、すべての費用を負担するのは困難です。

でも困難だからといって何もせず、結果大槌刺し子のコミュニティの継続が危ぶまれてしまうようであれば、ちょっとしたプライドや見栄などは、かなぐり捨てていいものだと思っています。

 

僕一人で100万円もの支援をすることは、現状では、残念ながら不可能です。

ただ、僕は3,000人の人に370円の支援のお願いをすることはできます。僕の心からの思いと、これからの大槌刺し子との未来への希望を文章にし続ければ、いつかは達成できる支援だと思っています。

 

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心地いい、楽しいと笑顔で居られるコミュニティを今後も継続させていくこと。

そして、そのコミュニティがいつか大槌を代表するような存在になっていくこと。

そのコミュニティが、日本の刺し子を、世界の社会問題の解決策の一つとして提案できるようになること。僕や母親(二ツ谷恵子)も、その一翼を担えること。

 

肩書きも収入も失った僕には大きすぎる夢かもしれませんが、この夢を叶えることがきっと多くの人の幸せを守ること&作ることになるんだと信じて今後も頑張っていく所存です。

 

どうか、大槌刺し子への支援糸へのご協力、宜しくお願いいたします。

 

 

 

 

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