「襤褸」や「刺し子」といった言葉が、英語でも見かけるようになりました。
刺し子と共に生きていた私達にとって、海外の方に刺し子に興味を持って頂けることは、とても嬉しいことです。「襤褸」に関しても、その美しさから、様々な解釈を通して、「布を大切にする文化」や「”もったいない”の文化」が、後世に残っていってくれれば、何よりものことです。
私達が考える襤褸(BORO)の価値
私達が襤褸をみる際の基準として、「幾重にも重ねて補修してあるか」というものがあります。
襤褸は、人々の普段の生活の中で穴が空いたり解れてしまった布の部分に、端切れで補修をするという、繰り返された刺し子の結果です。布が擦り切れて穴があいてしまうのには理由があります。その箇所が良く使われるから。ジーンズであれば膝小僧の場所だったりします。一度補修をしたら、それで終わりという分けではありません。擦り切れやすい場所を補修しても、またその場所に穴があいてしまうことも日常茶飯事だったことでしょう。その為、素晴らしい襤褸というのは3枚も、4枚もの布を重ねて補修してあるのです。擦り切れて薄くなった布の色、3枚にも4枚にも重なった布の色。その色のコントラストが、襤褸を「芸術」として紹介してくれているキュレーターの方が注目したところだと思います。
物のない時代に、薄くなった古布を集め、少しでもお洒落をしたい、楽しく着飾りたいと継ぎ接ぎしていた人が存在します。そんな日本人の日常の遺産が、襤褸なのです。
100年の時を超えて、布を蘇らせたい。
Sashi.Coでは、襤褸を「再生産」しています。
市場で出回っている襤褸を丁寧に手洗いし、観賞用の襤褸ではなく、「実際に使える」実用性のある襤褸を作ることを目的にしています。
襤褸はとても繊細で、摩擦にも弱いので実際に使われる機会は少ないかもしれませんが、実際に使われることを想定に入れて襤褸を制作することで、当時の人達が、薄くなった布を集めて襤褸を継ぎ接ぎしていた気持ちとシンクロナイズできて、面白い作品ができるのではとも思っているのです。何より、その襤褸を作る刺し子が面白いのです。
古物市場での”完成された”襤褸は、まさに美術と呼ぶべき素晴らしい美しさがあります。
そんな素晴らしい襤褸も、100年前、150年前の日本人の当たり前の生業から生まれたものです。
100年の時を超えて、気持ちや思いをシンクロさせて。カッコいい襤褸を、できれば使って、着て、楽しんで頂ける襤褸を、作っていけたらと思うのです。
One thought to “刺し子と襤褸。私達の大切にしたい布文化。”