日々、刺し子を英語で伝えるという事はどういうことかと考えながら、インスタグラムやフェイスブックを通して刺し子を言語で表現し、頂いたコメントを拝読しながら、また新たな刺し子の一面を学べていること、心よりありがたく思っております。
昨日書いた英語でのコメントに、少し気になる(言葉にしておいた方がいいだろう)ものがあったので、紹介します。これはきっと、日本語でも大切なことだろうなと思うので。https://www.instagram.com/p/B2F_zLKJbgr/
インスタグラムでの僕の投稿の日本語訳は、「いつか私達も”刺し子”だけで自分たちの生活を維持でき、また家族も養える様になるのが目標です。」というものでした。刺し子の原点である「布が足りない貧困状況での刺し子」ではなく、現代に生きる僕たちは「(楽しむ)選択肢としての刺し子」と一緒に生きています。効率や生産性が求められる世の中で、その真逆に位置する刺し子と共にいきる日々を選んでもいいよね……?という気軽な投稿だったのですが、その気楽さへのコメントは、少々想定外のものでした。
頂いた英語のコメントを簡単にまとめてみると……
- それほどお金を持たない人の方が、自由を感じられる
- 成功はお金で測れるものではない
- 仕事を辞め、今は子育て主婦をしながら刺し子をしているけれど、とても楽しい。満足できている
全てのコメント、僕も同感です。いつも言うように、「お金は”何ができるか”をパッと見で判断する物差しにはなり得るけれど、決してその人を表すものにはえない」と思っています。お金の過多と刺し子そのものには、直接の関係はあまりありません。
「刺し子」と「生活を維持すること(お金を稼ぐこと)」を繋げた表現で、これほどの反応を頂くとは思っていなかったので、僕なりの、「刺し子を続けるということ」をご紹介させて下さい。ここで言う「続ける」とは、一生涯かけて続けていくという意味合いで、それはつまり、どうやって刺し子と生きていく(ことができる)か、という生活の糧としての刺し子とご理解頂ければと思います。刺し子とお金を話をするのは、あまり好まれないのは承知しています。その上で、とても大切なことだろうと思うので、ここに文章として残します。
僕と恵子さんは、まだ誰も養えない
「仕事」の定義として、僕は「何かを(後世に)残すこと」と勝手に定義していますが、一般的な仕事の定義は、「生きていく上で必要な糧を得ること」なのかもしれません。現代における原則として、人は仕事をしなければ生きていけません。1%程度の特例を除いて、人は仕事をし、収入を得て、衣食住を揃え、その上で日々の充実を願うのです。
「自分だけの日々を楽しむ為の仕事」のハードルを一つ上げた先に、「誰かを養う為に稼ぐための仕事」があると思います。自分だけの生活を営む為なら、夢を追い続けるのもありでしょう。ミュージシャン、芸人、アーティスト。まだ見ぬ舞台を夢見ながら日々頑張る人は、やっぱり輝いてみえます。でも、そういう彼らも、家族を持ち養う子供ができると、もしかしたら夢を諦め、「誰かを養う為の仕事」に集中せざるをえなくなるかもしれません。最終的に、原則的に、やっぱり人は、生活の糧としての仕事が必要なのです。
そういう意味で、僕も恵子さんも、まだまだ「夢追い人」です。自分一人だけ食べていくだけなら、刺し子だけの日々でも形になるかもしれません。しかしながら、家族を思い、誰かの為に働くことを優先的に考えた時、残念ながら私達の刺し子はまだ「仕事」にはなっていません。形にしている刺し子そのものには絶大な自信があるので、それは本当に寂しくて残念なことなのですが、でも、現実として誰かを養うだけの収入を刺し子から得られる状況ではないのです。
僕は理解がある妻のおかげで、有り難いことに夢追い人を続けています。「主夫業をこなす対価」と言ってしまえば業務的になってしまいますが、それでも、娘の明日のご飯を心配せずに刺し子に没頭できるのは、妻の日々の仕事のおかげです。恵子さんも同様です。亡くなった親父(恵子さんの夫)の遺族年金と、家賃を気にしなくていい現住所がなければ、自分の生活すら心配しなければいけないような状況かもしれません。2014年の創業(Sashi.Coの開始時)から約5年、やっとで、その損益分岐点(というか生活できるだけのライン)が見えてきたと言っても過言ではないのです。
同様に、「刺し子業だけで家族を養っている人」を僕は存じ上げません。刺し子業に何を含めるのかという定義の問題にもなりますが、刺し子作家さんで、子供の学費生活費まで捻出できる……という方を知らないのです(ご存知だったら教えて下さい)。知っている範囲になりますが、多くの刺し子作家さんが、他に本業をお持ちだったり、あるいは一家の中に他の大黒柱があったり……というのが、主なケースです。僕も、そして恵子さんも。
特異としての刺し子家業
「お前の実家があるじゃないか!」と言われるかもしれません。仰るとおり、僕の実家は刺し子業で成り立ち、そして僕は「刺し子に育てて貰った」と言っても過言ではないほど、その刺し子業の利益で成長してきました。
現在、「刺し子業」として成り立っている会社様は何点か存じ上げておりますが、基本的に刺し子の”商社”的な存在にならないと、会社として存続していくのは難しいのではないかと思っています。「刺し子をする」だけで事業を続けていくのは、それは至難の技だと思うのです。
他の会社様は会社様。家業からくる自分の経験で言えば、家業は極めて「特異」だったと思うのです。語ればどれだけも続けてしまえる内容なので、あまり多くは語らないようにしますが、基本的に、
- 岐阜県高山市の観光業の第一次発展期(とバブル期)
- インターネットもパソコンもない時代での田舎の仕事不足
- 農村としての地域状況
これらが奇跡的に相まって、一時期の繁栄を築いたのだと思っています。詳細が気になる人は、配信中に突っ込んで下さい。話しますので。
ただ、上記(1)と(2)がなくなってしまった2000年以降、刺し子業の経営は困難を増してきます。2009年には、「どうやって刺し子業を閉めようか(倒産ではなく店じまいしようか)」と真面目に検討が繰り返される程、刺し子業としての「継続」が難しかったのです。この困難を一言でまとめると、「刺し手不足」です。パートという働き方が一般的になり、働く場所も増え、またインターネットでの仕事も可能になり、社会は右肩下がりのデフレ経済。なかなか刺し子という単純且つ時間がかかる作業に内職としてご参加頂ける職人様を探すのは、難しいことでした。寧ろ不可能に近い……と言っても良かったかもしれません。
そもそも刺し子とお金の相性は悪い
刺し子は本来、家庭内で行われていた手仕事です。外で働く旦那の野良着を補修する。冬が近くなってきたから、息子の掛け布団の穴を塞ぐ。そんなお金が発生しない家庭内、あるいは親しい友人内がメインだった手仕事だったので、そもそも論として、お金との相性はよくありません。
「お味噌汁の例え」がここでも使えて、家族の為に作るお味噌汁を、他のご家庭で作ってもお金を頂戴しにくいのと同様です。これが、寿司職人が家で作る寿司……だと、少しお金(謝礼)の流れも見えてくるのかもしれませんが。
もともと相性が悪い刺し子とお金を、「えいやさっ」と合わせて形にした家業には尊敬の念は抱いています。ただ、無理もあったのでしょう、その結果として今の歪な形になってしまってはいるのですが。お金と相性が悪いのであれば、考えない方が良いのかもしれません。ただ、多様性が望まれる現代で、「趣味の赴くままに」流れに任せてしまうと、もしかしたら大切な何かが失われてしまうかもしれないなと思うのです。
刺し子をする為には、針と糸が必要です。この針と糸は、「どこのどんな針でも良い」という訳ではなく、長年の経験を元にして使われている、刺し子ならではのものがあります。これは、刺し子をビジネスとして捉える事によって循環する経済活動によって、継続的な製造が担保されているのです。流行りの波の上下がある趣味ではなく、しっかりと継続して行う経済活動の「仕事」だからこそ、製造元も安心して日々の生産ができるのだと思っています。
相性が悪いからといって、現代で「お金の流れを考えないこと」は、ほぼその文化の衰退を認めてしまう事とイコールです。だからこそ僕は、「伝えること。知ってもらうこと」こそが、この相性の悪さを少しでも緩和する一つの方法だと思っています。
だからこそ考える、刺し子を続けるということ
刺し子以外の日本の伝統文化と伝統工芸は、どう残ってきたのか……?
これは一つの日本的な様式があります。それが「弟子入り」と「暖簾分け」という伝統です。芸能にしろ、職人(工芸)の世界にしろ、師匠についた弟子は、その修行中は、とりあえずの明日の食い扶持は心配する必要がありませんでした。実際に職人として認められる迄、10年という月日が必要かもしれません。しかしながら、その10年間は、餓死するということはあり得なかったわけです。同時に、その10年間は家族を持つということも選択肢にはあまりなかったように思います。一定期間の修行の上、家族を持ち、準備を得て、独り立ちし、そして伝統を担う一人となって次の世代にたすきを渡す。そうして守られてきた文化が沢山あります。
刺し子と、こうした伝統工芸には大きく違う点が一つあります。それは、「師匠」と言われる存在が存在しないこと、そして「工業ギルド(○○製造協同組合)」といった確立された組織も系統も伝統すらも存在しないことです。あるのは、各々のち方に残された「保存組合」くらいのものでしょうか?日本政府が認定する「伝統的工芸品」に刺し子がひとつも入っていないのは、こうした理由があるからです。刺し子は日本人にとって当たり前すぎたのです。日々の針仕事を、しかも貧乏や恥の象徴だった針仕事を、後世に”組織を作ってまで”残そうとした人は、それほど多くはなかったのだと思います。
注1): 国指定の伝統工芸品に刺し子はありませんが、県指定の伝統工芸品には、各地において様々な刺し子が存在します。経済産業省に認定を受ける伝統的工芸品においては、認定基準の一つに、「組合が存在するか」というものがあります。
注2): 僕の理解の範囲内ですが、現在の刺し子は多くが、「ある有志の方が、昔の刺し子を元にして現代に蘇らせたもの」だと思っています。僕の家業しかり。
だからこそ、当たり前の手仕事としての刺し子だからこそ、「刺し子を続けるとはどういうことか」を考えていきたいと思うのです。これ、日本語で長々と(面倒臭く)書いていますが、個人的には日本国内での刺し子のあり方には心配をしていません。昔からの刺し子が、その時代の影響を受け、様々な形に変容を遂げて現代に残っている様に、現代に生きる僕たちが様々な刺し子の変化を受け入れ、楽しみ、そして後世に残していければ良いんじゃないかと思うのです。日本人の「当たり前」と「常識」があれば、刺し子はそれほどに外れません。それだけ刺し子は柔軟なものだと思っています。
ただ、日本人の「当たり前と常識」が「非常識」になる日本国外において、特に「英語で表現される刺し子」において、僕はやはり大きな危機感を感じているんだろうなと思うのです。それは、これまでに刺し子を英語で表現した日本人刺し子作家が存在しない……ということだろうと思うのです。
英語にて刺し子を伝え続けるためには、「刺し子を本業とする」必要があります。刺し子と、その刺し子を伝える活動で、一家四人を養えるくらいの収入は得られるような土台を作っていかなければ、その経済活動は十分とは言えません。ただ、刺し子をして、それを伝えるだけで、それだけの収入を得るのは、並大抵のことではないだろうと思うのです。だからこそ、英語では「支援(寄付や月額のサポート)をお願いします」と声を大きくして言っています。だからこそ、英語では「お願いだから刺し子を知って、刺し子に必要な道具や材料を使って下さい」と日々宣伝しています。
人の幸せは、お金の多可で測れるものではありません。しかしながら、刺し子を続けて伝えていくためには、やはり「お金を考えない」わけにはいかないのです。「今この瞬間を大切にする」という瞑想的な効果を期待されている刺し子ですが、同時に、その効果を普及する人は必要なわけです。そういう意味では、仏教の托鉢が一番近いイメージになってくるのかもしれません(宗教的な要素はできるだけ排除したいというのが僕の個人的な願いですが)。
面倒な話を続けてしましましたが、僕の願いは変わりません。「刺し子を続けることで、一般的に言われる”当たり前”の生活はできるようになりたい。」というものです。刺し子を日々することで、生活保護を申請するようになってしまっては意味がないと思うのです(勿論、諸事情あって生活保護を受給しながら刺し子をするのは別の話です。ここで僕が言っているのは、”刺し子だけしたいから、働けるけれど、俗世間から自分を切り離して生活保護を受給する”というのは、本末転倒だという意味です)。
手前味噌で恐縮ですが、様々な刺し子の思いや写真を投稿する中で、「憧れて」頂く機会も増えました。「先生」と呼ばれたり、「師匠」と遊んで頂いたり、刺し子と一緒に過ごした30年の時間を楽しめています。そしてこれからの時間も楽しみたいと思うのです。その時に、憧れている僕たちが「刺し子では食べていけねー」と悲しい事を言うのは、寂しいなと思うのです。繰り返します。そもそも論で刺し子とお金は相性が悪い。でも、これから刺し子と一緒に生きると覚悟を決めた方々に対して、「大丈夫。刺し子を続ければ楽しんで、そして生活も成り立たせられるから」と胸を張って応援したいなと思うのです。
まだまだ手探りですが、今の僕たちを応援して下さる皆様に感謝の気持ちを忘れずに、引き続き、刺し子を伝え続けたいなと思っています。
【編集後記】
これ、日本語でのコメントだったら、「そうですよね〜」という感想で終わったのですが、英語で「お金に執着するのは違う!」とか、「刺し子を楽しむことが成功だ!」というコメントを見て、「貴方に何がわかるの!?」と感情的になったものが、これだけの長文となりました。日本語圏の方には不必要な文章だと思いつつ、それでも日本語で書いて残してしまう矛盾(笑)。英語でも書いていますが、これほどには正直に書けていません。いつか、この気持ちを全て上手に(誤解を招かないように)表現できる日を夢見て。
https://www.patreon.com/posts/sashiko-journey-29807819 (英語での投稿です)。