久々に予定が何もない一日。ここ数ヶ月で始めてなんじゃないか……と思うほどに。頭を空っぽにして、積み上げられている(感じがする)映画でも見ようかと思いつつ、やっぱり「文章を書く」ことに触手が伸びてしまうようで。Sashi.Co は二ツ谷恵子を中心においた刺し子を楽しむ集まりです。その中の一人として、文章と共に刺し子を楽しむ僕がいるという感じにご理解頂ければ幸いです。
刺し子との生活に戻り約4年。本格的に刺し子をお仕事として再開して約3年。一番大きく形に残ったものと言えば、毎週続けている「刺し子配信」だろうと思います。2013年までは誰にも自分の思いを共有することができず、商売と手仕事文化の間で苦しみつつ、自分なりの着地点を模索する日々でした。今は、大きな目標だけ掲げて、後は楽しみつつ、その日毎に感じることを言葉にできています。思いを言葉で表現でき、且つそれを聞いてくれる人がいる。これほどに嬉しい事はないのです。
配信では好き勝手な話をしているので、今日は少しだけ纏めて、僕が見ている「大きな夢(刺し子を通してどこに辿り着きたいのか)」を文章に残そうと思います。何度も配信で語り、なんなら何度もこれまで文章にしてきたことなのですが、改めて。もう一度。
刺し子で居場所を作りたい
僕達人間が生きていく上で様々な苦難があります。その苦難の中で、僕が一番苦しかったと思うものは、「(自分の)居場所がなくなること」です。貧乏も苦しいし、希望を失うことも地獄のようでした。でも、何よりも一番絶望的な感覚を覚えたのは、「居場所」がなくなった時でした。
「人の悩みは、詰まるところ”お金”か”人間関係だ”」という言葉を聞きます。その通りだなと思います。お金で幸せそのものは掴めないかもしれませんが、ある程度の不幸せは回避できます。人間関係の良し悪しによって、人生のその時の幸福度が変わってくるのも事実だと思います。ただ、お金よりも良い人間関係よりも、もっともっと大切なもの。それが「居場所」だと僕は思っています。
(厳密に言うと、お金も人間関係も居場所と密に関係があるので、全てを切り離して居場所だけを作ることは無理なのだけど)
スピードと効率、生産性とイノベーションが求められる世の中で、流れに乗れない(乗れなかった)人達の中には、もしかしたら、「居場所」を失ってしまっている人がいるかもしれません。刺し子と出会い、刺し子を始めたは良いけれど、誰かと刺し子を共有できる居場所を探している人がいるかもしれません。
僕が目指すものは、「誰かが誰かを裁かない居場所」なのです。共通項は「刺し子が好き」というだけの、後は自由に思ったことができる居場所を世界的に広げていくのが夢です。
*誰かが誰かを裁かない居場所を守るためには、ある程度の「前提」が必要です。その前提がない世界では、ある程度のルールが必要かなとは思うようになりました。
居場所は作るもの……というよりは、できるもの
配信やインスタグラムを通して、「居場所」を作ろうと努力はしているのですが、極論、「居場所は作るものじゃなく、結果的にできるもの」だと思っています。作ろうとする意図は必要です。でも、「作りました!」というだけでは続かないのです。継続的な意図が、結果としての居場所を作るのだと思います。
ここでの「継続的な意図」が何を示すかというと、「熱量」です。簡単に言うと、エネルギーであり、その居場所にいてくれる人の動きです。インスタグラムだったら投稿やコメント。配信だったら視聴やコメント。この動きが活発になり、熱量が上がれば上がるだけ、居場所が作られ、そして結果として「できる」と思っています。
お味噌汁の話をします。
「刺し子はお味噌汁だ」と良く刺し子と比喩にかけて話をしますが、それは出汁と味噌と具材のお話。今回のお味噌汁の話は、ご縁を頂いている藤井靖史先生のお味噌汁理論(散逸構造論)から大いに影響を受けたものです。
みなさんはお味噌汁を頂く時に、箸で数回かき混ぜませんか?
時間が経ち、流れ(対流)がなくなったお味噌汁は、お味噌と出汁に分離してしまいます。この分離した状態で頂いても、味はそれほど変わらないのですが、日本人である僕たちは、当たり前として、分離した状態のお味噌汁よりも、お味噌と出汁がいい感じに交わったお味噌汁を好みます。
「箸で数回かき混ぜる」という対流を生む行為が、エネルギーを生む行為です。藤井先生は散逸構造論(無秩序から秩序を作る)というお話でお味噌汁論を生み出されました。僕も似たような思いで、「居場所を居場所たらしめる為には継続的なエネルギーが必要だ」と思っています。
「居場所だけを作っても駄目」と思うのは、この「お味噌汁を箸でかき混ぜる人」あるいは、「お味噌汁を温め直してくれる人」の存在がいないと、本来の意図からはずれて来てしまうからです。だから継続なんです。毎週の配信は、僕が作ろうとしている「居場所(お味噌汁)」を温めなおす行為に似ています。毎回お味噌汁を作るのも良いのですが、でも、ほら、長く楽しみたいと思う気持ちもあるのですよ。
居場所 = そこにいる人達の気持ちの集合体
少々話が脱線しました。
お味噌汁の話で伝えたかったのは、「作っただけでは本当の形ではない」ということです。つまりは、「積極的にかき混ぜて(参加して)、願いとした居場所として存在しうる」ということです。
「居場所」という話をすると、「作って欲しい」とか「(居場所)ができたら参加したい」という声を良く聞きます。今回のブログで伝えたかった事は、その居場所は、参加する人々の気持ちと一緒に作っていくものだ……ということです。勿論、これは、僕の夢です。なので、僕がお味噌汁を作る張本人であることは間違いないのですが、是非その居場所に気持ちを置いてくれる方々にも、ずーっとお味噌汁をかき混ぜておいて欲しいな……と。
ずーっと夢物語だと思っていた「恵子さんに会いに行く遠足」が、11月に形になりました。一回目の試み。今後も継続できたら良いな……と思っています。そう。実はもう、居場所は作れているんだと思います。これから、沢山の方々のお力を借りて、この居場所を継続し、少しでも「誰か」の支えになれたら良いなと思うのです。刺し子を通して。