刺し子を通して | 世界じゃなく世間で、関係ではなくご縁

二人で構成されるSashi.Coの一人である淳(私)が、2017年後半より、オンラインにてライブ配信を始めました。

「ただ刺し子をしながら、刺し子について話すだけの動画に興味を持ってくれる人なんているのだろうか……?」と半信半疑で始まったライブ配信ですが、想像の100倍くらい楽しく、いつも見にきて下さる方も増えてきて、毎週インスタグラムとYoutubeにて、楽しく配信を行っています。

 

毎週火曜日と金曜日、日本時間午後11時より深夜未明まで、インスタグラムにて日本語で(時々Youtubeに以降。でも開始はインスタグラムで)

毎週水曜日(日本時間木曜日朝方)、アメリカ現地時間のお昼の2時(日本時間朝方の4時)より、 Youtubeにて英語で。

 

刺し子をしながら、刺し子について話をすることで、20代の後半、いろいろ悩みながら刺し子業を続けていた様々な想いが、実際に言葉として溢れてきて。考えるだけじゃなくて、言葉にするというのはとても大切な作業なんだなと思う次第です。日々、好き勝手なことを動画配信上で呟いてはいるのですが、一度、文字にしておきたい想いがあるので、ここに文章化をします。きっと配信でも話すとは思うけれど。

 

 

世間とご縁

「刺し子の楽しさを広めたい!」というのが僕の(そして母親の)何よりもの想いなのですが、その想いに至るまでには様々な葛藤がありました。

20代の頃、刺し子を生業としていた頃は、「刺し子の楽しさを広めること=(自分たちの食い扶持である)刺し子の技術の流出を促すこと」というように、自分の願いを否定をされたこともありますし、実際、背負うものが大きかった2010年前後は、家業を守るための利益(お金)を重視した観点からしか刺し子を見れなかったのも事実です。そんな「刺し子を残すためには利益が必要だ!」という、僕の二十代への頑固さへのアンチテーゼでもあるのが、「刺し子の楽しさを広めたい」という思いなのです。

 

そして、その願いには、もう少し大きな、社会変革への希望も含まれています。

 

世界じゃなく世間。関係ではなくご縁

 

「世間とご縁」という考え方は、とても日本的な考え方で、刺し子と共に世界中に伝えていきたい「幸せな人間関係の礎」のあり方です。マイナスイメージばかり目立ってしまう「世間」という言葉ですが、世間とは「自分が生活している社会」であると定義しています。もっといろんな定義はあるし、他の定義も大切なのですが、今は簡単に説明するためにこれだけの定義で。その自分が生活している社会というのは、テレビ越しにみる社会でも、ニュースで聞く社会でも違い、自分が主として参加しているものなのです。僕はこれを大切にしたい。

 

参加者全てが主役になる世間では、それなりのルールも出てきます。価値観も出てきます。

そのルールや価値観を窮屈だと考えて、現代では世間という言葉は敬遠されているのかもしれません。でも、点で個人が点在して構成される「世界」で、価値観よりも一度の関係性のあり方(正誤、損得)で決められる世界よりも、個人を線で繋いで「継続して相手を慮れる社会」の方が、僕はやっぱり好きなのです。刺し子において、「継続性と再現性」はとても大事な要素で、だからこそ、この継続して思いやれるコミュニティというのは、刺し子の根本でもあると思うのです。

 

またご縁というのも大切にしたいと常々思っています。

法が大きな力を持っている現代では、どんな関係性にも少なからず「契約」が含まれます。円滑な社会活動を行う上ではとても大事なことなので、否定は絶対できないのですが、同時に「損得のないご縁」というものにも、とても尊敬の念を抱いています。

 

「世間とご縁」

英語に直訳するのが、どうも難しい、この二つの概念を、刺し子の楽しさを広めることを通して、もう一度再確認していけたらと思うのです。

*鴻上尚史氏の著書に「世間」という言葉が良く出てきます。その意味合いで参照しております。

 

「おかげさま」の思いやり(MORAL)

もう少し具体的に話をすると、日本語特有の、英語にはなかなか翻訳できない単語の人付き合いを大切にしていきたいという気持ちが根本にあります。

英訳をする際にとても悩む二つの言葉。「おかげさまです」と「お世話になっております」。

 

具体的な目的語がない為、英訳をする際はとても困るのです。具体的な目的語がない文章、つまりは、目的語そのものが「世間」であり、その一緒に生きている人々を間接的に意味している日本的な考え方を大切にしていきたいと思うのです。

 

勝ち負けが全てではない世界。

正しいか間違っているかで裁かれない世界。

 

そんな世界(=世間)があってもいいじゃないですか……と。日本に嘗て存在した、そんな「人間性を諦めない社会」を刺し子を通して、自分の周囲に築けていけたらいいな……と思っているのです。誰かがいるから、自分が今生きて行けている。常に優位性を保たなくても、自分らしくいられる社会。誰にも強がらなくて良い社会。「出る杭は打たれる」と嘆く社会ではなく、「一緒に出ていく杭を見守る」社会。

 

刺し子や手仕事って、そんな不可能に近い社会を築けるきっかけになるんじゃないかと思っているのです。

 

まずは刺し子の楽しさ、その中毒性を広めたい。ハマります。沼です。楽しいです。

その上で、実際に多くの方と一緒に生きている実感を得ながら、刺し子を通して人間の素晴らしさを伝えて行きたいなと思うのです。それが、刺し子家業を営む一家に生まれた僕の使命であり、そして震災復興を通して「大槌復興刺し子プロジェクト」の刺し子さん達から学んだことなのです。

 

 

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