刺し子を英語で紹介するようになり、3度目の冬を迎えました。毎日1回インスタグラムにて、刺し子の知識や、刺し子への思いを英語を中心に紹介しています。1,000回を超える投稿。毎日、ほぼゼロから自分自身で書いています。人様の文章は勿論、自分が書いた文章を使い回すこともほぼありません。日本語での刺し子の紹介に関しては、引き出しはどれだけでもあるとは思っているのですが、英語で刺し子を紹介する際には、「現時点で刺し子はどれだけ英語で紹介されているか」を学ぶ必要があります。3年前、初心な感じで”英語圏での刺し子の現状”を知ろうともせずに話を続けていた僕は、ガツンと一発、2019年の春に痛い思いをするのです。
3年間の配信の中心は日本語です。沢山の刺し子の現状について学ばせて頂いております。同時に、「英語で刺し子について語る・調べる」3年間の紹介と学びの中で、英語圏からも沢山の嬉しいお言葉と、残念ながら的はずれな批判を頂いてきました。結果として、気がつけばいつの間にか、「Pain(痛み)」という言葉を使うようになりました。誰かが、刺し子を蔑ろにした英語の文章を読んだ時、何かが痛むんです。英語でのPainはとても便利な言葉で、実際の痛みがなくても、「推測できる痛み」として使うことができます。でも、僕が今回使っているPainは、”苦しい(悔しい)だろうなぁ”と推測できるだけの痛みだけではなく、実際に具現化された痛みだったりします。
でも、何がどうして、どんな理由で痛いのか。英語のSashikoの何が痛いのかを少し考えてみようと思います。
やっぱり刺し子は日常だったんじゃないか
「刺し子は日常の針仕事(だった)」という推測はとても真実に近いのではないかと思うようになりました。数百年前の江戸時代、当時の日本人がその針仕事を刺し子と呼んでいたかはわかりません。地域によっては違う名前もあったと思います。しかしながら、その針仕事が現代において価値があるとされる襤褸を作ったのであれば、やっぱりその針仕事は「刺し子」であり、彼女たちの日常だったのだろうと思います。
戦後、刺し子の価値が再度見直される中で、日本人の「刺し子」が、各地で、適度に排他的な形をとって復興され、現代に伝えられてきました。
日常だった針仕事。それはつまり、刺し子は本来、母から娘へ。そして、そのまた娘へ……と、代々、家庭内&地域内で受け継がれてきたものだと思うのです。刺し子が復興される中で、人が集まり活動が具体化してくると、名前が必要になります。それが、◯◯刺し子となって現代に残ることになったのだと。
同時に、「◯◯刺し子」という名前を持たない小さな家庭内での刺し子も存在します。存在するはずです。その家庭内の刺し子は、その刺し手の方が培ったものを、日常の必要に応じた針仕事の中で、後世に伝えて言ったんだと思うのです。おばあちゃんの知恵袋……的な感じの針仕事です。
運針という、初めてなのに懐かしい場所
家庭内での針仕事の継承は、きっと現代にも残されていることだと思います。平成後半に生まれた子が、その母親から針仕事を学んでいたか……は、稀なケースになるかもしれませんが、昭和中期〜後半に生まれた子が、その母親から裁縫の基本を手仕事として学んでいた(見様見まねで真似していた)のは、きっとあるんだと思います。昭和前期のお生まれの方は、きっと針仕事を幼少期に学ばれた方の方が多数派なんじゃないでしょうか。
刺し子は日常であり、また日常であるからこそ、とてもとても個人的なものになりうるのです。だから正解も間違いもありません。というか、正解を決めつけてしまうことそのものが無粋です。それぞれの家庭の味付けが醍醐味であるお味噌汁に、ある一つの家庭の正解を押し付けてしまうような野暮っぽさがあると思います。
個人的な(家庭的な)刺し子は、技術だけではなく「思い出」をも継承します。思い出には頭の中で描かれる情景だけではなく、その記憶の中にある匂いや感触、そして大切な家族との息吹すらも含まれます。そんなとても大切な瞬間に、「アートだ」「自由だ」「私を見てくれ!」という自己主張は、やっぱり適さないんだと思います。
父親が亡くなった後、様々な勉強や修行をして、なんとか「亡き後の親孝行」ができないかと努力をしてみました。ある程度の実感はあったものの、結果として、一番父親と繋がれているなと思うのは、針を持っている時間だったりするのです。
父親の命日の10月。その当日は、できるだけ刺し子をするように心がけています。針を持ちながら、今ある僕の家族と、僕の父親の事について話をする。ふと、父親が愛煙していたLARKの煙草の香りが鼻腔を擽るのは、きっと思い込みだけじゃないんだろうと思います。
少し大袈裟で、少し傲慢な言い方になってしまうかもしれませんが、僕はきっと、運針会でそんな、「とても個人的で、大切で、皆様それぞれの刺し子」を発見するきっかけづくりがしたいんだろうなと。一度、自分の刺し子を発見することができたら、その後に教わることは対してありません。好きな柄を開拓し、好きな針目を見つけ、そして、楽しめる時に楽しみ続けていく。刺し子ってそんな日常的なもので、でもだからこそ大切なものなんだと思います。
大袈裟に言えば、「汚される」痛み
そこまで考えて刺し子をしている人は少ないかもしれません。でも、必ず、そこまで考えて刺し子をしている人は存在すると思っています。一人かもしれないけれど。
国内外で何度かあった刺し子ブームを通り、刺し子は手芸として認知されるようになりました。綺麗な花ふきんを作り、そのデザイン性を誇る。そんな刺し子が今の一般だと思います。そして、それで良いんだと思っています。文化は形を変えるものだから。
ただ同時に、これだけ単純な針仕事を何年、何十年と続けることができるのには、言葉に上手にできない「何かしら」があるんだと思います。それが日本人らしさかもしれないし、記憶と自分を繋げるリンクなのかもしれないし、もっと個人的な思い出なのかもしれません。
でも、それは大切な何かなんです。大袈裟に言ってしまえば、英語圏でのSashikoの解釈の一部や、声高らかに刺し子を自慢している姿を見ていると、なにか大切なものが汚されていると感じてしまっているのかもしれません。だからこその、汚される痛みなのかもしれません。
「心臓の少し上が、ギューッと締め付けられるような痛み」です。これは英語で刺し子を紹介し始めた当初からあった感覚なのですが、当時はずっと「あぁ、僕は怒っているんだろうな」と、怒りの感情というストレスからくる胸の痛みだと思っていました。でも、よくよく考えると、それほど怒ってないんです。どちらかというと、「寂しい」という感覚に近いのです。
普段から例え話が大好きなのですが、この痛みに関しては上手な例えがでてきません。「娘を嫁に出す父親の寂しい気持ち」でもなければ、「お味噌汁に新しい具材を投入した時の違和感」とも違います。なんなんだろう。いつか上手に説明できたら良いなと思っています。
汚されようがなんだろうが、刺し子は刺し子
僕がどう感じようが、どう痛みを覚えようが、刺し子は刺し子です。僕が何をしたからと言って明日刺し子がなくなるわけではありませんし、明日の刺し子がいきなり全く違うものになる訳でもありません。まず第一に「刺し子とは何か」という疑問への答えを出すことが難しい文化の中で、変化(今回のブログで言うと、”汚されたとされる痛み”)があったところで、それは当たり前の話なのです。
だからこそ。
刺し子は刺し子で有り続けるからこそ、今、この瞬間に刺し子について様々な思いを抱いている方の声を聞きたいんです。本を出版されるような大きな声(影響力)をお持ちの方だけでなく、日本の山奥の町で、お一人で針仕事を営んでいらっしゃる方の刺し子への思いを丁寧に拾っていきたい。ただ、現実問題として僕は日本には帰れない。だからこその配信で、こうやって学びを続けていけたらと思っています。
文化を残そうとする時、多数決での決定は「百害あって一利なし」だと思っています。結論をはっきり出す必要がある時(例えば、席が一つしか無い役目を担う人を選ぶ場合)は、多数決という大多数に従うというのは、民主的で且つ平和的な決定だと思うと思います(平和的かは別問題として)。
ただ、文化において、「正解を出すこと(間違いを排除すること)」は、決して良いことだとは言えません。好みはあって然るべきですが、たとえ一人の声だとしても、それもしっかり伝え残す必要があると思います。ましてや、そのお一人の声が、刺し子を長年続けていらっしゃる人の声であるならば。
また理想論を並べているのかもしれません。「痛みなんて感じず、楽しく刺し子やろうぜ!」っと英語で的はずれなご指摘を頂くこともあります。痛みは怒りとは違い、選択して感じるものではありません。どれだけ覚悟を決めても、痛いものは痛い。痛くないさと自分を納得させることはできます。僕自身、ずっと痛みに目を向けてきませんでした。でも、「一人じゃなくなった今」、その痛みを共に感じてくれる仲間ができた今だからこそ、自分に素直になっても良いのかなと思っています。
まだまだ文章では上手に表現ができない感覚なのですが、今後、配信や投稿を通して、「痛み」について表現の幅を広げていけたらと思っています。